トップページ街でおさんぽ>皇居

 ■ 皇居東御苑(2002年2月)

 

 園内は、やっぱり警備が厳しいです。大手門をくぐると、写真後ろの守衛の前を通って、写真左にある「入園票」を受け取ります。入園は無料なのですが、この票で入った人数と出た人数を確認しているのでしょうね。
 結構びっくりしたのが、入ってすぐの宮内庁病院方面との間が、車止めのようなちょっとしたもので仕切っている程度だったこと。こんなに身近に、皇室関係の施設があるなんて!
(後でわかったけど、ちょっと曖昧なのはここだけでした。やっぱり警備は厳しいですね)

 入ってしばらくの場所には、いくつかの番所があります。番所とは警備の詰所で、園内には3カ所が保存されています。
 写真は百人番所と呼ばれ、それぞれ100人で構成される4騎組が、昼夜交代で詰めていたそうです。それにしても、とっても長い建物でした。


 こちらは大番所で、他の番所よりも高い位の人が警備についていたそうです。場所も他よりは内側にあったらしいです。そういえば、ここだけは他の2カ所と違って通路からちょっと離れた場所に建てられて、周りは芝や木で囲まれています。待遇が違いますね。

 登り坂を振り返って、本番所を見たところです。この坂を上ると、いよいよ江戸城の本丸跡です。写真にはとっていませんけど、この辺りの石垣はすごく立派なものです。石の大きさなんて、他の城では考えられないような大きなものがあったりもしました。さすが江戸城!という感じでしたよ。


 本丸跡には、いろんなものが残されています。写真は「松の廊下跡」です。江戸城中では2番目に大きな廊下で、ここにあったそうです。しかも畳敷きなんて、ゼイタクですよね。今は松の木が植えてあります。
 この廊下、赤穂浪士討ち入りにつながった吉良上野介義央への刃傷事件のあった場所です。英語の説明文には「Every Japanese Knows・・・」と書いていました。私知りませんでした。。。(恥?)
 「石室」と呼ばれる場所で、抜け穴などのいろんな説の中でも、大奥用の非常時の調度品を納める場所、つまり納戸のような使い方をしていた説が有力だそうです。伊豆の石を使っていて、天井の短辺方向は1枚の石板で作られています。ゼイタクな納戸ですね。私の部屋よりははるかに広いです。。。

 1966年に出来た、香淳皇后の還暦を記念してつくられた「桃華楽堂」です。陶片で彩られた壁面の絵は立派で、花弁をかたどった屋根も立派なんですが・・・どこかの宗教施設のような感じを受けたのは、私だけではないでしょうね。ちょっと近寄りがたい存在かも。


皇居東御苑][丸の内(02/03)][丸の内(02/12)][日比谷・二重橋
千鳥ヶ淵(02/03)][千鳥ヶ淵(02/07)