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 ■ 恵比寿(2003年1月)


 この辺りの大地には三田用水という、玉川上水から分かれた用水路が流れていました。恵比寿の地にビール工場が出来たのも、この用水があったからだと聞いたことがあります。なんと昭和50年まで使われていたそうなんですよ。
 写真のトンネルは、この上を三田用水が流れていたという場所です。前後は切り通しの道なんですが、さすがにここだけはトンネルにしたようです。

 トンネルの正面には、プレートがはめ込まれています。右書きのこのプレートには昭和5年と書かれています。そんな歴史ある遺構ですが、残念なことに道路拡幅のために壊されることになりました。上の写真の工事はその様子です。工事期間を見ると、訪れた日の約1週間後だそうです。ぎりぎりで何とか見ることが出来たけど、無くなるのって残念ですね。

 ちょっと奥に入ると、今でも古い家が残っていたりします。まぁ数は少ないですけどね。

 何ともない坂道のようですが、茶屋坂という名前がついています。この坂には、その昔爺々(じじ)が茶屋という、富士山の眺めのいいお茶屋さんがあったそうです。家光や吉宗といった将軍が鷹狩りの際立ち寄って休んだらしく、それが「目黒のさんま」のお話につながったとも言われています。

 お茶屋があったのは、このあたりに清水が湧き出ていたからだそうです。今はその湧水も涸れ、坂もきれいになってしまい、この碑が唯一当時を語るもののようです。
 普通の住宅地も、当時は郊外の静かな場所−田舎だったんですね。

 JR沿いに戻ると日の丸自動車教習所にでます。山手線から目に入る赤い玉は、横からみるとこんな感じでした。

 近くの、線路をまたぐ橋です。「白金桟道橋」という人専用の橋で、普通に歩いて渡るには単なる橋なのですが、ちょっと横から見てみると・・・古い線路を使って造られた橋でした。画一的でない、ゆるやかな曲線は、どことなく懐かしい感じがしませんか?
 ここまで来ると、目黒駅はもうすぐそこです。





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