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 ■ 上野公園(2001年4月)

上野の森は、徳川家光が江戸城の鬼門を鎮護するために寛永寺を建てたことに始まります。この時、寛永寺は京都の延暦寺を、不忍池は琵琶湖を、桜並木は吉野を模して作られたとも言われています。

大政奉還の後、徳川慶喜を処分しようという動きが官軍にありました。そんな彼を守ろうと結成されたのが彰義隊で、徳川家霊廟を守る目的も併せて、ここ上野寛永寺にたてこもりました。
しかしながら慶応4年に官軍がこの地を攻め、彰義隊は敗れることとなりました。いわゆる上野戦争です。写真は、その彰義隊の墓です。

江戸城の方向に向かって立っている「西郷隆盛の像」本来は皇居を望む丸ノ内に、陸軍大将の軍服姿で建立される予定だったものの、西南戦争を起こした賊軍の大将ということで、上野で普段着の姿、に落ち着いたようです。ただし、銅像の製作にあたっては写真も残っていなかったため、作者である高村光雲も相当苦労したらしいです。本当は、全然違う姿だったかもね。

「擂鉢山古墳」という、小さな古墳があります。その名の通り擂鉢を逆さまにしたような形をしていて、約1500年前の前方後円墳だそうです。この日は人がいっぱいいたにもかかわらず、この付近には人影が見れませんでした(^^;

不忍池の真ん中にある弁財天です。ここには「ふぐ供養の碑」なんかもあって、池の真ん中にしては思ったよりも大きな場所でした。琵琶湖の「竹生島」に相当するのが、この弁財天だそうです。

この不忍池は、大昔に東京湾の入江であった部分が、平安〜室町時代にかけて池になったそうです。
今の時代に、このように空が広い場所って、すてきですよね。カモがいっぱいいました。

1876年に開業した「上野精養軒」です。上野公園が開園したのと同じ年です。この時代に西洋料理を食べることの出来たこのお店は、夏目漱石や森鴎外の作品にも出てきています。
私は、行ったことないんですけどね。