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 ■ 寛永寺(2000年11月・2003年4月)




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元々は、徳川家光が江戸城の鬼門にあたる部分に建てたお寺です。江戸幕府として存在した時代でも、天皇に対する畏敬の念は絶大なものであったことからか、住職として皇族の人間をあてることで徳川幕府への権威づけのような感じになっていた、と思います(私の記憶なので、間違ってたらごめんなさい)。当時の場所は現在の上野公園全体でした。しかし慶応4年、彰義隊と官軍との戦いの時に焼失しました。現在の本堂は寛永年間(1624〜1643)に建てられた川越喜多院本堂を明治12年に移築したものです。
徳川家の墓所として、6人の徳川将軍の霊廟もあります。この墓地は、なんとなく谷中墓地と一体化しているような感じでもあります。昔は大きなお寺でも、今はとてもひっそりとしています。



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ひっそりとしたお寺ですが、桜のさく時期に訪れると華やかな雰囲気でした。境内のいたるところが、淡いピンク色で満たされています。時代を経て色に深みがでている本堂の壁の色と、見事なバランスでした。
これだけ咲いていても人の気配はありませんでした。境内だからお花見なんて出来ないのでしょうけど、それにしてもちょっと寂しいかも。逆に考えると、のんびりと桜を観賞することができるんですけどね。

【2009年10月】

 寛永寺の根本中堂の全体像です。

 これだけの建物だと、屋根も凝っています。金色の部分は、葵の御紋。つまり、徳川家ゆかりのお寺ということです。

 この日は特別ご開帳ということで、お寺の中の本尊を拝むことができました。もちろん中で写真は撮れないから、そとからその雰囲気だけでも。

 寛永寺ってこの奥があるって初めてしったので、ちょっと足をのばしてみました。今まで見ていたのとはちょっと違った空間です。

 そしてこんな立派な門がありました。重要文化財の徳川綱吉霊廟勅額門です。この門の奥は一般の人は入れない聖域。代々の徳川家のお墓があります。多くの将軍様が、この奥で眠っています。

 中の写真が案内板に写っていました。こちらは綱吉のお墓だったかな(違ってたら失礼)。この中、地表から5mくらいのところに、正座した姿で眠っているそうです。