■ 二子玉川---砧線跡(2000年12月) |
砧線とは、大正13年〜昭和44年に二子玉川園〜砧を走っていた、全長2.2kmを走っていた路面電車です。多摩川から取れる砂利を関東大震災復興のために東京へ運ぶ目的で作られました。 写真は、二子玉川駅から別れていく線路の跡です。カーブの雰囲気が、線路って感じしますね。 |
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この短い間に中耕地・吉沢・大蔵の3駅がありました。写真の、歩道がふくらんでいる部分は中耕地駅のホームのあった場所です。 当時は砂利運搬以外にも、砧地区を中心とした住宅地の造成、わかもと製薬の工場、東宝撮影所がらみも目的でした。 |
二子玉川駅からしばらくは、道路と平行に走っていました。歩道の部分が、線路のあった場所です。歩きやすい、気持ちのいい遊歩道が続いています。 開通当時は、緑と水の豊かな田園風景が続いていたそうです。今は、マンションやお店、家がぎっしりと建ち並んでいます(当たり前か。。。) |
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遊歩道の途中には砧線を意識した柵がありました。多分本物ではないと思うけど、レールのようか形でしたよ。 |
玉電(玉川線・世田谷線・砧線)の写真です。砧線の説明書きのところにあったんですけど、写真には渋谷の砂利置き場との説明がありました。今だと、どのあたりになるんでしょうね? |
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野川にかかる橋。かつては、この橋そのものが鉄道の橋だったそうです。このあたりから、昔の線路跡は一般道路として使用されている場所です。 それにしても、当時の橋が今でもそのまま使われているんですね。。。 |