■ 熱海(2000年10月) |
■佐治郎の湯(目の湯)■ 佐治郎という人の邸内にあったことから[佐治郎の湯]といわれました。また、のちに新かど旅館の所有になったので[新かどの湯]ともいわれました。効能としては火傷にもよいが、眼病にもよく効くといわれ、別名[目の湯]ともいわれます。但し、現在は目に良い効能は無いそうです。洗わないでと書いているけど、洗う人いないよね? |
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■河原湯■ このあたりは東浜という道もなく石のごろごろした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ていました。当時の源泉は、湯治客は大湯が主に使われ、他の源泉も限られた家のみが使用していて、熱海村の漁師等の一般人が自由に入浴できるのは、ここだけでした。 寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため[瓦湯]と呼ばれたたともいわれています。 この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったと言われています。 写真にあるように湯気が出ているので熱いのかな?と思ったら、雰囲気を出すために霧状の水が出ているだけでした。ただ、張っているお湯は熱かったです。 |
■清左右衛門の湯■ 昔、農民の清左衛門という人が馬で走っている時、この湯壺に落ちて焼け死んだので、この名前が付いたそうです。人が大きな声で呼ぶとたくさん湧き、小さな声で呼ぶと小さく湧き出たといわれています。明治までは、昼夜常に湧き出て絶えることがありませんでした。 私が行ったのが夜だったためか、お湯は出ていませんでした。昼間は出ているんでしょうね!? |
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■野中の湯■ 野中山のふもとにあります。この辺一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。また、このあたりの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る高級な 壁土として利用されました。 江戸時代までは湧き出るところが浅かったので、あまり入浴には利用されなかったようです。そのため湯をためる湯桝を設けなかったといわれています。 中銀ライフケアの入り口にありました。源泉はそこの所有みたいです。 |
■小沢の湯(平左衛門の湯)■ 沢口弥左右衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を [平左衛門の湯]と呼ばれていました。また地元の人は小沢にあったので[小沢の湯]とも呼んでいました。 [清左衛門の湯]と同じように、人が大きな声で呼ぶとたくさん湧いて、小さい声で呼ぶと小さく湧き出たといわれています。 温泉たまごが作れるように、かごが置いてありました。向かいには商店があります。うまく出来ていますね(笑) |
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■大湯■ [参考]世界3大間歇泉 |
■風呂の湯・水の湯■ [風呂の湯]は昔の坂町高砂屋の大木円蔵の庭から湧き出ていました。現在の福島屋旅館の西側です。この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の上騰が盛んで饅頭を蒸したり酒を温めたりして販売していました。 [風呂の湯]の傍ら1.5mほど東のところに塩分のない温泉が湧き出ていました。熱海史誌には、淡泊無味常水を温めるもののごとし、故に[水の湯]と名付くと記されてします。 それにしても、なんだか公園の水飲み場のような源泉ですね(笑) |
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