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 ■ 香椎(2001年1月)

初詣に、地元の香椎宮へ出かけました。

「香椎宮」
 旧官幣大社である香椎宮は元々は神社ではなく、神社と陵墓の中間の廟でした。古来から皇室の崇敬が厚く伊勢や石清水などとともに本朝四所の一つに数えられています。
 新羅(朝鮮半島南部)出兵の途中この地で亡くなった第14代仲哀天皇を、大和へ帰還された神功皇后が祭るために建てられたのが起源とされています。西暦723年には、皇后自身の宮も造営されました。
 仲哀天皇が亡くなられた後神功皇后は身代わりとして男装し、新羅遠征を果たしました。その後海外からの貢物と共に、文明も陸続として導入されました。山陵でも神宮でもない橿日独特の廟という名称で祭祀が続けられてきました。これは歴代中ただ橿日宮の天皇皇后にのみ捧げられた特別の御待遇であると伝えられています。
 明治前までは十年に一度は天皇陛下からの直々にご先祖様への貢物が届けられる(勅使が来られる)という伝統行事も執り行われていました。
 普段は静かなこの神社も、お正月は人混みですごかったです。

本殿(重要文化財)は香椎造りと呼ばれる日本で唯一の建築様式です。現在の建物は1801年に黒田藩により再建されたものです。

「古宮」
 西暦391年頃、仲哀天皇が新羅遠征のために本陣を置かれた場所です。香椎の名の由来は、
「急死された天皇の棺を本陣の椎の木にかけておいたところ四方に異香を放ったため」とも
「この古宮が筑紫の橿日宮と言われていたため」とも言われています。

「不老水」
 神功皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿禰がこの水を飲んで300歳まで長生きし、5代の天皇に仕えたとの言い伝えがある名水です。
明治以前は毎年御神木の綾杉の枝と共に皇室に献上していたそうで、千年以上も枯れることなく湧き続けているこの清水は環境庁の名水百選にも選ばれました。

 小さな祠の中に井戸があり、手杓で汲み上げるようになっています。以前は自宅に持って帰ったりしたものですが、最近はここで飲むだけにするようにとの注意書きがありました。
 但し、街に近いためか周辺の宅地化が進んでいます。水量も減っているここ最近、この水を守るのは、大変でしょうね。

「とくや」
香椎宮近くの住宅地にある辛し明太子のお店で、ここの明太子は、とっても美味しいです。全国的に有名な某辛し明太子屋で以前働いていた方がされていて、そのお店が全国展開するにあたって、大量生産により味が守れないということで独立して作っているそうです。味を守るために大量生産ができず、お店はここと福岡空港だけでだそうです。